北川 通子 記

 六月四日(日)JR玉水駅に集合。玉川堤と蛙塚が今回の吟行地である。二日前の全国的な大雨が嘘のような梅雨晴間の玉川だが、川中の葦は薙ぎ倒され堰の水音も高く、その名残をとどめていた。
 玉水は古来歌枕の里として名高く、現在三百五十首以上の和歌が残されている。奈良時代、橘諸兄がこの地に別荘をたて、山吹を植えたと伝えられている。井手の玉川は山吹と蛙の名所として名高く川辺のあちこちに和歌が紹介されている。紫式部や和泉式部、西行法師などがある。
 吟行の途中、赤茶けた大きな「水難の碑」に出会った。昭和二十八年未曾有の水害が起こり、多くの犠牲者が出たそうだ。玉水駅にはその時流れてきた五トンもの石も展示されていて驚かされた。その後、地元の人たちの熱意で山吹も植えられ、川端に多数見つけた。今が花の盛りならさぞかし・・・と思うが、二、三遅れ咲きを見つけられたことは、うれしかった。。
 川から少し下がって蛙塚へ。たくさんの和歌に石の蛙が囲まれていた。かわずは井手の枕詞である。
お天気に恵まれ、鶯や四十雀の鳴き声がよく響き、葉桜が木蔭を作ってくれ、紫陽花も色づき始めた中、気持ちの良い吟行日和だった。

 思はずに井手の中道へだつとも云はでぞ恋ふる山吹の花   紫 式部