主宰継承にあたり
「運河」は、右城暮石先生が戦後の混乱がようやく収まりかけてきたころに興された俳句雑誌です。
暮石先生は、創刊の二十年近く前に、師である松瀨靑々先生を亡くされていました。しかし紆余曲折がありつつも、山口誓子先生の「天狼」、その仲間の集う日吉館句会などで、靑々先生から学んだ俳句観にプラスするものを探りつつ、句境を深めてゆかれました。それがお住まいの富雄で句会を始める原動力となり、句会報「筐(かたみ)」を経て、「運河」創刊に結び付いたのです。昭和三十一年のことです。
暮石先生の心には、育ててくれた靑々先生、先輩として導いてくれた誓子先生とその仲間たちがいました。古屋秀雄さん、山中麦邨さん、田上石情さんたちが客員同人として「運河」を支えて下さったのには、そういう友情があったのです。
暮石先生の俳句は終生、自然・季語の現場に立ち、その声を謙虚に聞くことによって産み継がれましたが、その根っこのところに靑々先生の教えと、誓子先生たちとの切磋琢磨があったことを忘れてはなりません。
暮石先生の「酬恩」の心は、ここにあります。
「運河」に学ぶ一人ひとりは、この暮石先生の心をこそ、旨とすべきなのだと思います。表立っては、靑々先生への酬恩であり、誓子先生とその仲間たちへの酬恩ですが、それは、深いところで自然・季語に生かされているという俳句への酬恩へと繫がります。
「ありがとう」の心です。
それが「運河」の俳句だと言えるのではないかと思います。
右城暮石先生より主宰継承を命じられてから三十二年、私がこの酬恩の心をどれほどに仲間へ伝え得たかは忸怩たるものがありますが、この度、私の思いの一端なりを理解してくれていると思える熊野の谷口智行君に、この暮石先生から受けた任を改めて委ねます。
「運河」の創始者である暮石先生の、この純朴でまっすぐな心が、後世へと継承され続けることを願い、そして期待しています。
靑々、誓子、暮石、そしてそこに集った先輩方と、その方々の俳句を語り継ぐこと、その思いが自らの俳句を深めてくれるのだということの実践を、令和の「運河」に強く望みます。
令和三年 立冬の朝に記す
「運河」名誉主宰 茨 木 和 生